「大聖堂」がはじまる! -- 音か文字か・・・

2011年2月 3日
カテゴリ : 多読
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「雫」さんからメールをいただきました。
以前途中で投げた大冊 The Pillars of the Earth をあっさり読み終わったとか。
それを機会に、多読について考えてみた、ということです。

翻訳版は 「大聖堂」で、そのテレビ・ドラマ版は
2月5日日曜日にNHKのBShiで夜10時からはじまります。

全8回約8時間(?)、「ブレード・ランナー」のリドリー・スコット指揮、豪華キャスト、
そしてわたしとしては、12世紀(!)の暮らしが細部まで見られそうで、そこが楽しみ!

で、タイトルの「音か文字か・・・」の部分は、雫さんのメールの中から、
 「新しい旅立ち・・・」に関係しそうな部分を抜き出して、
わたしのメモにしようという意図です。

  (音と文字の関係はこれからの716室の大きなテーマに関わります。)

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タイトル通り、2月6日からNHKハイビジョンでドラマが始まるのを機に読了目指しました。
といっても、1,000ページ近いこの本、昨年の夏に450ページぐらい読んで放置していて先月になって、ドラマ前に読了できるかな?と思いつつ続きを読み始めました。
途中寝込んで読まなかった日々が続きましたが、結局7日ぐらいで残りを読了しました。

おー・・・ 7日で500ページですか! それは気分いいだろうなあ!

読み終わってみると、いままで多読三原則にそって多読してきた力が発揮されたと改めて感じました。
とても長い物語で、人々のそれぞれの物語がてんこ盛りだったりするので、リズミカルな読書にしないとまた投げてしまうだろうと読みながら思いました。
リズミカルな読書は読むスピードの速さそのものではないと思います。1分に何文字読めるというのは多読初期のGRで測れる、わかりやすい目安ですが、PBなど趣味の範囲になると事情が違うと思います。
わからない単語は見えない(たしかみぃみぃさんの名言でしたよね。)、でも見えない単語ばかりじゃなくなっているから話はわかる、というのもリズムカルな読書の一因です。

(「リズミカルな読書」っていままでだれも言ってないと思いますが、
 これからは頭の隅に置いておきます。というのは、音の話、シャドーイングの話、
 シャドーイングで多読的精読へ、という「新しい旅立ち・・・」の話題に関係すると
 思われるからです。読むスピードそのものではないという点も。)

一文章はそんなに難しくありませんがボリュームがなにせ…それもいままで様々なPBを読んできた体験がペースをつくりやすくしていると思いました。
ここまでいきついたのは、つまらなかったら読むことを止める、私なりの解釈ではわからない・面白くない本を読む終わることに固執するよりも、読める本をたくさん読んで経験を増やすということが大きいと思いました。
もちろん投げたり、放置した本は数知れず。それも一つの経験として、あとになってすんなり読めた本もあります。また、私の英語が読める力に関係なく、この作者に共感できないから読めないんだと笑って売ってしまった本もありました。
そういう経験もすべてリズミカルな読書に影響していると思います。

(リズミカルな読書・・・ なるほど・・・ 考えよう・・・)

多読三原則というと、なんとなくSSSのもの、と感じる方もいらっしゃるでしょうし、こども式ではあまり最近は話題にでないと思います。
私は多聴の前に本をたくさん読むという手段はかなり有効だと改めて思いましたよ♪
来月末で多読も7年目に突入しますが、訓練にしない多読はすごい!
ま、訓練な多読なんてする気は毛頭ございませんので、その効果はわかりませんが。

そうですね。多読三原則は多読村ではあまり話題になりませんね。

一つには、もうそれが当たり前になった人がたくさん集まっているからでしょうね。

で、こんな大河本を読んだら疲れてORTやら手にしていた私も、今では続編も読んじゃえとさっそく読み始めて100ページ前まできました。
"World Without End"です。これは1025ページあるから2週間ぐらいで読めるかな。
 
先生、多読ってすごいねー!!
6年近くも飽きもせず続いたのは「おもしろくないことはしない」が効きましたね。
「単語や文法がわからなくて、どうして洋書が読めるのですか?」とある方に聞かれましたが「単語や文法がわかっているのに、どうして洋書を100冊も読んでいないのですか?」と答えた私。
たぶん、伝わらないでしょうね。言葉よりもやってみないと!!
多読はひろーい英語の入り口です!
だからこども式も原点にかえって多読の第一歩がもっと前面に出ても良いなぁと思います。

多読が村の前面から引っ込んだように見えるもう一つの理由は、
たしかにわたしが、多読の先にあるものに力を入れようとしているからでしょう。

音と文字のバランスはこれからしばらく悩みどころだと思われます。
多読をはじめたばかりの人にも集ってほしいので、
しずくさんの言うように、多読に力を入れていきます。

「今日から読みます、英語100万語」のタドキストさんの経験談のネット版みたいな。
それを読んだら「私もやってみようかぁあ」と思う人が出てくるような気がするなぁ。
色々な多読が世間にあるけど、やっぱりORTから勧める先生の多読は一番だと思います。
 
あ、今はもう多読って意識ないんですけどね(笑)
 
いやぁ、久々に嬉しくなったからメールしました。
夜中なので下手な文章おゆるしくださいませ。

雫さん、雫さんはそんなに「朋あり遠方より来たる」でもないけれど、
メールの内容は「三原則あり、遠方より来たる」だったよ!

それで、もう一度村のめざす方向を確かめるきっかけになりました。ありがとう!
いつか、「文字か音か」ではなくて、「文字も音も」で入り口をたくさんにするという
話をしたいと思います。それも「新しい旅立ち」のテーマの一つです。

で、「大聖堂」の話に戻りますが、原作は別に大傑作というわけではないです。
けれども、8回シリーズを観て、細部に目を凝らすと、多読的再読につながるのでは
ないかと期待しているのです。

ぜひみなさん、多観を通して多読精読への道も探ってくださいな。
くわしくは「新しい旅立ち・・・」のメモ#8の続きをお楽しみに!

  (多読的精読が 文法や単語学習 を通して、ということはまず絶対ないと
   予想しています。では、どうする? それも「新しい旅立ち」のテーマの一つ。)