多読普及を始めてから15年近く経ちますが、毎週のように驚くことが起きる頻度は
まったく変わっていません。要するに多読もTadokuも新しい、まっさらな「分野」なので、
知られていないことばかりだからでしょう。わくわく、どきどきの興奮状態が15年続いて
いるようなものです。
今回は先週の日曜日1月31日のシャドーイング特別セミナーに参加したKさんの
感想を紹介しながら、最新の驚きを記録しておきます。
こんにちは。
昨日も、素晴らしいセミナーありがとうございました。
こんなにすごい内容のセミナーを、たった1500円で、受けられるなんて、コストパフォーマンスが高すぎます。
↑ この部分は軽く流して・・・
昨日の講座の感想やtadokuに触れながら感じていたことを、報告させて下さい。
1 セミナーの感想
私のタイ語の劇薬シャドーイングと、英語シャドーイングを、直接指導頂けて、まず、ありがとうございました。
酒井先生のブログで知った劇薬シャドーイングはたまに、英語素材を、適当ですが、3年くらいは集中して、シャドーイングと多読に取り組んでました。
先日の講座で、劇薬シャドーイングに改めて取り組みました、とは言え週に2回程度でした。
実際に、先生にチェックして頂き、
カタカナの音がほとんどない、このままやれば、怪しい東アジア人になれる・・・というようなお言葉を頂き、嬉しいこともさることながら、やっぱり、このtadoku的なアプローチで間違いなかった、としみじみと、確信しました。
Tadoku的なアプローチで間違いなかったということを、わたしもKさんのシャドーイングと感想を聞いて、感じたのですよ。お互い様です。ありがとう!
全員で劇薬シャドーイングの素材をやった後、英語でもやりました。
その時、一人一人への直接アドバイス。私は、いい感じに出来ていると言って頂けてましたが、それだけでは、
なく、さらにピンポイントのアドバイスを頂きました。それは、頑張ってシャドーイングしてるから、体が強ばっていて、歩きながらシャドーイングすることで、力が抜けるとのことでした。
私にとっての、力を抜く意味は、
頑張っている時のシャドーイングだと、実際の会話の時に、うまくできないからということだと理解しました。意識しない楽な感じだからこそ、実際にも自然に、発揮できる。
Tadoku的なアプローチは、
ああ、どれだけ「無意識化」するのことなのかな、と思いました。
その無意識的なアプローチは、
10年くらいtadoku的に英語に触れてきた私には、
ふにおちるものでした。
つづきは2
シャドーイングにかぎらず、「先生」が聞いていると思うと力が入ります。
それはあまりいいことではないようです。何気なく(=無意識に?)英語の特徴が口から
出るには何気なくシャドーイングした方が良さそうな気がします。
(そこでセミナーでは何人かの人に「ながらシャドーイング」をすすめて、
実際に机の周りを歩きながらシャドーイングしてもらいました。
4,5人の人がシャドーイングしながら歩き回っている様子はさながらゾンビ-映画のよう!
頭がシャドーイングに囚われて、目がうつろだからですね。
もっと力を抜いて何気なく「ながらシャドーイング」すると耳と口がもっと直結しますね。)
とはいえ、まだ「ながら」が良さそうな気がするだけで、確信を持つにはもっともっと
みなさんのシャドーイングを聞かせてもらわないといけません。いつまた違うことを
言い出すか分からないので、ブログはいつも読んでいてください!?
私のtadokuへの取り組みへ。
2 tadokuへ取り組みながら感じたこと。
多読は、レベル0からスタート。
[レベル]3当たりを読んでると、
なぜか、頑張らないで、話す、書くをすると、思考回路が、レベル3くらいにしか、ならない。頑張ると大人ぶった英語がはなせなくはないが、ぜんぜん出来なくてイライラするんです。
なぜでしょうか???
↑ このあたりが驚きでした。Kさんはとっても素直な人のようで、
をさなごのやうに Tadoku した成果がそのまま表現にも出るようです。
をさなごのやうに 変化が出たと(思われる)報告は今までなかったのです。
黄色レベルはたしかにせいぜい小学校中学年くらいまでのことばでしょうから、
会社(外資系だそうです)で使うと「こどもっぽい」感じなのかもしれません。
酒井先生に、それが、子供になって学ぶということだよという風に言って頂いたと思います。
Tadokuは本気に、読むのと聞くのを真剣みっちり2年から3年はやりました。
自然に、言葉が出てきたり、発音がよくなったり、副産物でTOEICの点数がよくなったり。
言葉が一番たまったのは、
ジャクリーン・ウィルソンさんの児童文学を読んだとき。
どれを読んでも、
ああなんて上手い作家さんなんだろう。感動して涙がとまりませんし、たくさん笑いました。
単語一つ一つには、
意識はないし、分からないものも飛ばしてましたから、意味が全体的に分かるくらいです。でも、夢中になってる、
考えてるより感じている、感動している、「無意識に働きかけてるフロー状態」でしょうか、
英語という言語が、体に染み込んだのは、
ある時、自然に、言葉が出てきた時です。
状況、感情、言葉がそして無意識。
不思議でたまりません。
Kさんは素直な一途な人とお見受けしました。
(これまで数回しか会っていないし、ちゃんと話したのは今回が初めてなんですけどね。)
その素直さで、をさなごのやうに 感じて、吸収して、をさなごのやうに 溢れたのだろうか?
まだ例が少ないので、確信はありませんが、こうして報告をもらって、少しずつ現実の理解が
進むように思います。
私は自分で見よう見まねでシャドーイングをやりました。昔大好きだった音読もさっさとやめました。
発音はよくなり、外国人の方には誉めてもらえることが、増えました。
しかし、
私は、難しい英語は分かりませんし、頑張ると、めちゃくちゃなカタカナ発音のめちゃくちゃなな言葉になります。
頑張ると、めちゃくちゃ。
リラックスして出てくる言葉は、
上手い。(自分比)
ここもまあなんとも をさなごのやうに そのままですね。
ちょっと図式化すると・・・
頑張ると、頭を使って、おとなが出て---カタカナ英語のめちゃくちゃことば
リラックスすると、体に溜まった英語が無意識から直接口に出てきて---うまい!
講座でもお伝えしましたが、
シャドーイングをやって、英語を体に仕込むと(もしくは、字幕なしのドラマ、でもやはり、シャドーイング)
、次の日、外国人と職場で話す時、
かっこよく英語が話せます。(笑)
これは、本当に不思議です。
聴こえも良くなります。
もちろん、今日も良かったです。
何故なら、講座でシャドーイングをやりましたからね!
シャドーイングをやった次の日は「かっこよく英語が話せます」という報告をセミナーの中で聞いた時に
わたしは近眼の独眼龍さんの話をしました。独眼龍さんは「シャドーイングはきらい」だそうですが、
「英語の会議の日は朝シャドーイングをしておく」そうなのです。K さんの話もそっくりですね。
こうした報告をいくつか聞いているので、最近は「シャドーイングは頭のすすぎ洗い」という効能を
強調するようになりました。しかも「日本英語の音を洗い流しながら少しずつ自然な音を吸収する」
という効能もあるのではないかと考えるようになりました。
今後は、シャドーイングを続けることと、多読や多観で、少しずつ、
大人に近づくことです。そうしないと、頭が英語を受け入れてくれません。
会社で難しいのをやるのですが、言葉が脳の上っ面しか通過せず、
体には反応しないのです。
今回の講座でより、
Tadoku的に言葉を取り入れて、大人の思考ができる英語レベルになりたいと思います。また、講座にぜひぜひ参加したいです。
あらためて、酒井先生本当にありがとうございました。
そういうわけで、わたしに「ありがとう」というより、これまでわたしに多読・Tadoku の様子をいろいろ報告してくださったみなさんに感謝、なのです。報告や質問や感想がなかったら、
ここまで来ていなかった。それはまったく間違いのないことです。
あらためて、このブログを読んでいるみなさん、そしてKさん、そしてセミナーに参加してくださった
みなさん、ありがとう!!
なお、参加したみなさんの中に報告を書くと約束してくれた人たちがいます。
その人たちの報告が集まったところで、NPOの事務局から当日の報告が公開されます。
お楽しみに!