(毒)一人称と三人称 −− 翻訳に三人称は自然なこと!

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「tsumugi」さんからこの話題で、異論が寄せられました。
もう一度書いておきますが、異論反論批判は大歓迎です。異論や反論あればこそ、議論も思考も深まっていくのです。tsumugiさんの異論のように、また「ある人」の「寄り添い過ぎ」という「批判」のようにね!
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三人称への異論…
私にとって翻訳に三人称があることはとても自然なことです。
西欧文化圏の人々の自分と他者の距離感と、我々日本人(東洋人と含めて良いのかの確信はありません)の人間同士の距離感の違いを端的に示しているからです。

これはまたどーんと正面切った反論で、気持ちがよい!

三人称の前提になるイメージはIt is not my business っていう感じです。 他者と自分の境界が明白。一方主語を全体にぼかす傾向のある日本語では客体化が微妙というか…。山岡さんのメールの項にあったようにわざと彼・彼女と示すことで特別な関係を示したり、言いたいこととは逆なので上手く言えないのですが人の中に入り込む上手な主語消しだと思うのです。

なるほど、そう説明されると、いままでの翻訳にあった三人称に確固たる根拠があるような気がしてきますね。
でもどうなんでしょう。わたしはやはり翻訳に「彼・彼女」がはいるのはおかしいと思います。さてその理由は・・・
まず第一に翻訳の中の「彼・彼女」はtsumugiさんのいうような「自分と他者の距離感」を表現しようとして多用したとは思えないのです。単に he を彼、she を彼女と機械的に置き換えたのではないかな? そうではなくて、距離感を表そうとした「彼・彼女」というのは見たことがないという気がする。
第二に、英語でも彼・彼女は距離感を表してはいないと思います。単に文の構造上必要な主語だったり、目的語だったりするだけだと思うのです。つまり he、she にはそういう意味での「意味」はないのではないでしょうか?
ただし、tsumugiさんのいうように、英語は日本語よりも「だれが」を強調する言葉だという気はします。日本語(とくにお役所の言葉)は「だれが」を消すのがうまい! なんとなく全体の意思のように書いてみたり、受け身で書いてみたり、「尻尾を捕まれない」ように巧みに言葉を選んでありますね。
それはその通りだと思いますが、残念ながらさきほど書いたように「彼・彼女」でそれとおなじ距離感あるいは It is not my business. という突き放した感じが出るかというと、そうではなさそうな気がします。
「彼・彼女」と訳すことで、寄り添うことにはなっていないけれど、It’s not my business. という自己主張につながらうような距離感ではなくて、ただよそよそしい、全体にぼやっとした描写になっているだけのような・・・
うーん、このあたり、言葉オタクのみなさんの意見を求めます。

私、彼、彼女で思春期の頃とても傷ついた体験をしました。
思春期の頃の私にとっていつも「私」という主語をつけて話すことはとても自然なことだったのです。自分の主張したいことがあるときは「私は〜〜と思う。」こういうのが私にとっては自然な形態だったのです。誰の他の考えでもない私の考えであると。ある時、母に「私、私と言うな、耳障りに聞こえる。気の強いイヤな女に見える」と言われたのです。そういえば「私」ってつけて話す友達はいないなぁと。
それと同様に、he sheの距離感もこの言葉があるからこそとれる部分があるのではないでしょうか。
上手く言えないのですが…。
そんな私はカナダ人の友人にカナダでは普通・標準的な女性だけど日本ではstrong mind/head womanなんでしょう、と言われています。

「わたし」がしっかりあって「he、she」があるというのはその通りだと思いますね。けれどもそのことと翻訳に「彼・彼女」があって当然というのはわたしにはすぐには結びつかないかな?
I をすべて わたしと訳してあるなら別ですが。
それで思い出しました!
今回没にした原稿の中に伊丹十三の翻訳を論じた部分がありました。おそらく「さよなら英文法!」のページにして5ページ分くらいかな?
伊丹十三がアメリカの作家ウィリアム・サロイヤンのPapa, You’re Crazyを翻訳しているのですが、(いまも新潮文庫から出ています)その翻訳の中で、人称代名詞をできるだけ省略しないことをめざしているのです。
ああ、あの原稿をそのままここに載せましょうかね?
ちょっと考えさせてください。もし本気で没原稿の山をブログで復活させるとなると、ちょっとした覚悟が要りますね。ちょっと考えさせてください。
とまれ、「パパ・ユーア・クレイジー」は果敢な試みで、日本語と英語の仕組みの違いを浮き彫りにしていることは間違いありません。言葉オタクのみなさんは本屋さんで一度手にとって、最初の数ページと後書きに目を通すことをお勧めします。tsumugiさんとほぼおなじ問題意識からその勇断に達したことがわかります。