「さよなら英文法!」について

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「ある人」から「さよなら英文法!」について、メールで感想をいただきました。
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酒井先生、著書読ませていただきました。
It should have been you.の件ですが、Eat, Pray,Loveという本を読んだときに、
I would have been there. (確かこうだったと思うのですが、例によってきちんと付箋などをしていなくてすぐにわからないんですが)ってでてきて、すごく感動したので、いちいち頷きながら読んでいました。

ありがとうございました。

知識で分かるのではなくて、心で寄り添っていくからわかる、学校英語では養われないそういう理解が実は言葉を学ぶことそのものだと。でもこのわかり方に自信がなかったのですね。人から見ると本に過剰に感情移入して、なんか馬鹿みたいと思われているような気がしたりして。結局そういう読みでいいのだと思えるきっかけになったのが、この本でした。
お勉強的なことでいえば、主観的な見方を追求しないと、形容詞とか副詞は身に付かないのかもと思ってます。

Eat, Pray, Love・・・ いい題名ですね・・・
いいな、と感じるから、体に染みこむのでしょうね。
過剰に感情移入すると、それだけ大きな大切な財産になるという気がします。(いますぐそういう作品を思い出すと−−ほかにもいっぱいありますが−−
たとえば Musee des Beaux Arts という Auden の詩を読んだときの衝撃なんていうのは、あまりの感情移入で、いろいろ気が触れたようなことをやりましたね、そういえば。(ノートに何度も書き写したり、慣れないタイプライターでできるだけきれいに清書したり、友だちに必死で良さを説いてみたり)
馬鹿にみたいに思われてもいいのではないかな?
知識が感動とともに心に刻みつけられると、知恵になって別のところでも使えるようになる? いい加減な思いつきですが・・・

でも、気になったところもあって、「女に向かない職業」のコーデリアの場合は、やっぱり語り手がいるように訳した方がいいのではないかと思いました。いくら語り手がコーデリアの視点に寄り添っていても。キンジー・ミルホーンものみたいに、地の文に、Iが出てきてないので、比較するとやはりおかしい気がします。ここぞというときは、地の文に「わたし」って出てきてもいいとは思いますが。

これね、わたしはここではまったく気がついていませんでしたが、大問題ですね。
実はしばらく前にはこのことが気になっていろいろ考えていたことを思い出しました。
「ある人」が言うようにあの場面は「地の文」です。そして地の文というのは、登場人物ではなく、語り手の語った(書いた?)文章のはずです。
それなら地の文を主人公が語っているかのように読めるように訳してはまちがいということになりそうですが・・・
このあたりがわたしが前に関心のあったところで、地の文なのに、語り手(この本の場合は作者)が主人公の内面を察しながら書く場合も結構あるのですね。意識していませんでしたが、わたしがあの部分を試訳したときには、そういう「作者が登場人物の内面に入って語った」と受け取ったのでしょうね。
この問題はひさしぶりに思い出したので、今後忘れずに考えていこうと思います。「ある人」、ありがとー!

それから、四技能ではなく、書き言葉と話し言葉だというところも、自分の感覚と合うと思いました。
レベル3と4の差ってそこにあるのですかね。レベルって、同じ基準で計れないものが一緒になっているような気がして、とても気持ち悪いのですが、そのせいかなと思いました。
レベル5と8,9が同類で6、7が同類のような気がするんですが、なんでなんでしょう。
わからないことを書いてますね。やめときますね。

うー・・・ わからない・・・
そんな話初めて聞いた・・・
でも、そういう気がするっていう気持ちはわかるような気がする・・・
わからないでしょう?

あれこれ書きましたが、本はおもしろかったよというメッセージのみを受け取っていただければ幸いです。
ではでは。

はい、それはもちろんしっかり受け取りました。ありがとう!
そして、あらためて、語り手の地声のこと、登場人物になりかわった語った「なりすまし」のことを思い出しました。それも、ありがとう!!
「ある人」さん、またねー・・・