ある人からある人へ


多読はごく水平なので(水平ってなんだ?)、「先生−生徒」っていう関係は成り立たないようです。それは多読が心の奥に届くからで、心の奥のことはわかっていないので、だれも「先生づら」ができないからだと、わたしは思っています。
  (だからわたしは先生ではなくて、どちらかといえば    
   「脇でじっと見てる、あやしい人」。多読を言い出したためか、
   なかなか先生ではないと見てもらえない・・・ でもまあ、いいとしましょう。)
でも、次のメールを読むと、だれでも先生なのだということがよくわかります。


ブログではなくメールをいただいたものなので名前ははぶきますが、ある人が多読について助言しています。

えっと、とてつもなく長くなってしまいました。
ばっさりカットしようかとも思ったのですが、多読の効果について
ちょっと悩んでらっしゃるなあと思ったので、思い切って全文送ります。
あくまで、(あまり正統派ではない)一個人の意見として読んでくださいね。
お悩みですね・・・私もいろいろ悩んでたかもなあ。
多読に否定的な意見が気になっているようですね。
そういう人達は昔からいますね。
私は幸い?そういう意見は全く気にならず、その人達の言っている事は
説得力がないなあと今も昔も思っていますが、○○さんがこんなメールを
くださったということは、心の何処かで、そういう意見に納得してしま
うところがあるからなのかもしれないですね。
多読といっても人によっていろいろな捉え方があります。
掲示板やオフ会で、全然多読じゃないじゃんそれ、と思う人もたくさんいらっしゃいますね。
その人が多読をしてらっしゃるか、実はお勉強派なのか(御本人は多読を
していると信じていて、とてもいい方だったりするので一人勝手に悩んだ
りします)は、投稿を一行読んだだけで分かります。

↑この辺をさして「ある人」はこのままブログの記事にはできないでしょう、と言ったのですね。

児童英語やその先生とかは放っときましょう。
私は児童英語そのものもあんまり好きになれないし、多読を利用して子供に
英語の本を読ませるなんてとんでもないと思っています。
多読が普及しはじめてやっと5年経とうかという段階なのに、赤ちゃんのうち
から英語漬けにしてしまって、その子たちが大学生や社会人になって果たして
どうなるのか?
毒にも薬にもならない英語教室や、教材もどきで遊ぶならまだしも、多読は、特に
吸収がはやい小さな子にはどうなんでしょう。お母さんがどれだけしっかり
コントロールできるかにかかっているのでしょうけど。掲示板で相談したりと
自信がないなら絶対やっちゃだめと思いますけどねえ〜。
(運転できない人にハンドル握らせてるようなものでは?)
小学校のときは英語できたんだけどね〜と思い出す程度の被害であってほしいもの
だと私はとっても冷ややかにみています。
(中学生くらいから、自主的に読む分にはOKなのかなあ)

↑ ここは、児童英語の先生方のために反論しておきます。
大丈夫ですって。多読が気に入るくらいの先生たちは、ちゃんとその辺はわかっています。実に見事に「放って」おいて、伸びたいように伸びさせてやっていると思う。中には4年も6年も辛抱強く待つ先生もいるのですよ。そういう先生についてはなにも心配はいらないです。でも、これだけでは「ある人」の誤解を解くことはできないと思うので、またいつか会ったときにしっかり話しましょう!

それだけ多読は効果があると私が思っているということなのですけど。
ただ、使い方を誤るとどっちに転ぶか。
今は児童英語全盛といった感があって、多読もそのパワーに押されてるところが
ありますが直感的におかしいと感じています。特に多読にはそぐわないものだと
思います。

「ある人」の予想する児童英語と多読はそぐわないのでしょうね。そして、そういう児童英語がほとんどだということもたしかです。
そして、いちばん不幸なことは児童英語の世界でも「多読はいいそうだ、ORTはとても効果があるそうだ」というので、「多読押しつけ、ORTの暗記」などを無理矢理やらせる「英語子育て」なんというものがあるそうです。
こわいなあ・・・ そういう児童英語にはわたしも大反対。多読で英語が嫌いになるこどもが続出すると見ております。

*****
これまでのメールから、○○さんは一刻も早くペーパーバックを読みたいのでは?
と思っています。
実際、いきなりペーパーバックから入って、読み続けてらっしゃる方も
いらっしゃるようです。

それは無茶ですよね。

でも、ちょっとここは我慢して児童書をたくさん読んでからのほうが、
ペーパーバックに行ったときに楽ですよ、と言います。
ペーパーバックはマラソンを走るようなものです。GRは100メートル走、
ってとこかな。
児童書になると5キロ、10キロとか?(適当です)。
GRは全然走ったことがない人でも、手と足をとにかく動かせば(
=中学生程度の英語力を駆使すれば)、読めます(ゴールできます)。
児童書になるとトラックを離れて市街地を走るので(これまた適当な例え)、
横断歩道があったり歩行者をよけたりしていかなくては行けません。
つまり飛ばし読みです。距離も長くなるのである程度体力が
いります。でも100メートルの練習ばかりで、いきなり長距離にいけると
思いますか?トラックで前ばかりみて、息継ぎもなしにだーっと走る
やりかたでは、いつまでたってもペーパーバックは読めません。
距離はすこしずつ伸ばした方が確実に上に行けます。
走った分だけ、自分には分からなくても筋肉や持久力に変わっていってます。
でも、これが多読って効果あるの?という疑問につながるような気も。
または即効性を求める方は効果なし!とばっさり切り捨てるのでしょう。
そういう人は多読をポパイの缶詰(知ってる?ところで私何歳?)と勘違い
してて一瞬でパワーアップしないと満足できないみたいですね。
遅くまで仕事してて、体力が尽きかけてるんだけどあと2時間どうしても
やらないといけないことがある(そうしないと沖縄行きが〜)、
そういうときはドリンク剤に走れば、その場はしのげます。
でもそれって自分の体力がついたわけではないですよね。
分からない所は、辞書を引けばその箇所は
理解できると思います。でもその単語の意味を覚えたからといってその分、
英語力が上がった訳ではないということは知っておかれた方がよいかと。
疲れたときのリポDを否定しないのと同じで、辞書もそんなものだと思って
おけば〜、ただし常用はやめた方がいいです。

うまいたとえだと思うな。わたしのいう「ドーピング」ですね。

ペーパーバックにも、すこしづつ手を伸ばしてもいいと思います。
飛ばし読みさえできれば、いつでもペーパーバックは読めます。
でもいきなり出来る人はそうそういません。ほとんどの人は地道に
体力をつけてから、でしょうね。
ペーパーバックで挫折する原因は、私が思うに、体力不足とスピード不足です。
言っときますけど、決して語彙力不足じゃありません。

いいぞー! だいさんせー!!

英語力って知識の量ではないです。断言します。
どっちかというと、体力や、運動神経(反射神経もね)のような技能です。
頭がいいとか、勉強が好きとか、一切関係ないです。
だって言葉だもん〜

ここなんか、だいよんせー!!!

(その言葉を使って何をするか、という段になってはじめて知性とかが関係
してくるんですよね。でも言葉そのものには関係ない話です。)

おー、ここもだいごせー!
なかなかこう言える人はいないような気がするなあ・・・

だからいっぱい英語を使わないと上手になれないんです。水泳や自転車に
のるようなもの。
普通の人は逆立ちしたってフルマラソンが走れないのと同じで、読書体力が
ついてないとペーパーバックは読めないです。
そのために児童書でしっかり体力作り。
まだまだ自信ないなあ〜と思う間はしっかり児童書を読みましょう。
楽しめない場合は大人の視線で、どうしてつまらないか書評を書く
つもりで批判的に読むのもよいかと思います。
(でも児童書って奥が深いですよ。うっかりすると足をすくわれます)
でもそれだけじゃないような。
ペーパーバックはある程度スピードをつけて読んで行かないと、
話が進まなくてつまらないどころか、話がわからなくなることもあります。
分からないところも分かる所も飛ばすというような感覚です。
以前、高速道路に入ってギアチェンジするようなものだとおっしゃってた方が
いたような。
(でもあまり飛ばしすぎると伏線を見落としたりするので注意・・・)
これは多少コツがあって、あえて説明するなら段落のなかでどの文が一番
キーになるかを見分けてそこを重点的に読んであとは軽く流す〜
(あくまで一定のスピードの中で)とかいう感じになるのだけど、
考えてやってるわけではなく、自然とそうなるから、そうしてるというか。
速読法とかじゃないですよー。
走るとき、一定のスピードで走り続けるために横断歩道の手前でスピードを緩めて、
曲がり角の前で左右を確かめて、直線コースはスピードを出して、下り坂では力の
かけどころを調節〜みたいな?
うーん文章にするのは難しいです。
一つ言えるのは、やり方を頭で考えるというより、身体で覚えるということかな。
*******
と、延々書いてきましたが、○○さんが多読に納得できない部分があるならば、
すっぱりとやめてしまったほうがいいと思います。
多読にしても他の方法にしても時間とお金とエネルギーはものすごくいりますから。
ペーパーバックひとつ読めるようになるために、普通で数年、約100〜500万語分の本、
これだけの年数と費用がかかります。
私は読めるようになったら3年なんてあっという間でしたが、価値観はひとそれぞれ
でしょうし。

ここもだいさんせー! 
だれもかれも多読やらなきゃいけないなんて、だれも言ってませんものねえ。

オフ会でも、ある人が、多読をしたいけど費用が心配と相談しようものなら、皆さん
もう山のように本を持ってきてくださいます。どれくらいかというと一回のオフで
100万語分の本が借りられる位。
あれを読め、これは絶対おすすめ、あれもいいんじゃない、ともう大騒ぎです。
(ORT全巻どかーんと貸し出し、ってのもあったなあ、前は)
でもそういう方がペーパーバックを楽しむようになったという話は残念な事に
いままでないんです。私のまわりでは。すんごく恵まれた環境に一見みえるけど
実はそうじゃないんじゃない?と最近思ってます。

ん? ここは気がつかなかったぞ?
そういえば、そうかもしれない。今度からちょっと気をつけてみよう。

自分で本を選ぶ、自分で自分のレベルをたしかめながらレベルを上げて行く、
これを児童書のうちからやっておかないと、いつまでたっても一人歩きできない
んじゃないのかな?

そう! 「快読100万語」でわたしは「100万語」は自分の足で立てる語数だと書きましたね。

掲示板やオフ会で、面白そうな本の情報を仕入れるのも大切ですよー。
タドキストの方は本当に本の紹介が上手で、自分じゃ絶対読もうとしなかった本を
読んでみようかな、という気にさせられたことが何回あったことか。
(そして多読貧乏の道へ。そして私は仲間を多読貧乏の道連れにすべく本の紹介に
執念を燃やす)
多読はあくまで、読書です。
だから本ばかり読んだ人は、英語力の読むっていう部分が上がって行くし、
会話ばっかりしていた人は話したり聴いたり、ていう部分が上がって行って、
私たちが日本語を身につけたのとくらべたら多少いびつな上達の仕方になり
ますが、日本にいる以上、そんなパーフェクトな環境はなかなか望めないで
しょう。なので私はしたいことを、今できることだけ。
他の事は、必要になったらすればいい、という考えです。

だいさんせー!
多読の流行なんかに乗るな−!!

それで思い出したけど、日本にいる外国人に多いですね、普通に日本語で
会話できるのに日本語の文字が読めない人。それでいいんじゃないと思います。
(本を読みやすい環境にするため、寝る前の一時間を確保といった、生活リズムを
整える程度の多少の工夫はしたほうがいいかもですね)
だから、○○さんがまず英語でなにをしたいのか、それをはっきりさせてみて、
それがもし会話だったら会話する機会をつくってみたり、旅行に行って英語
しゃべりまくってみたり、できるようになったら〜と言わず、
これをしたら効果がある!という考えから一旦離れて
いろんなことにどんどんチャレンジしてみたらどうでしょう?
映画やドラマを字幕なしで見てみるとか。
セリフがさっぱりわかんなくっても筋は追えたりしますよ。
やりたいことだけやる、これが大切です。私もやりたいことしかしません。
それを見つけるのが一番の英語獲得の早道です。大変なこともあると思いますが、
あきらめずに頑張って(ここは頑張りどころ!)いろいろやってみてください。
おまけです・・・
あと、さかぽんがこのメール読みたそうなんですよねえ。
まだ、○○さんの名前や、内容等一切お知らせしてません。
けどなにか嗅ぎ付けたらしく。
名前を一切出さないという条件でこのメール転送してもよいですか?
公開なしで、先生だけに、でもよいと思います。

で、公開してもいいという許可が出たというわけです。
まったく、こういう「ある人」みたいな人がたーくさんいるので、わたしなどはいなくてもいいのだ!

ある人からある人へ


多読はごく水平なので(水平ってなんだ?)、「先生−生徒」っていう関係は成り立たないようです。それは多読が心の奥に届くからで、心の奥のことはわかっていないので、だれも「先生づら」ができないからだと、わたしは思っています。
  (だからわたしは先生ではなくて、どちらかといえば    
   「脇でじっと見てる、あやしい人」。多読を言い出したためか、
   なかなか先生ではないと見てもらえない・・・ でもまあ、いいとしましょう。)
でも、次のメールを読むと、だれでも先生なのだということがよくわかります。

(さらに…)