多読の非常識 その壱 多読三原則について

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きょう渋谷学園渋谷で中学1年生向けに多読の話をしました。
うまく話せませんでした・・・ 

中学1年生たち、保護者のみなさん、ごめんなさい!
いつもとはちがう切り口で話そうとして・・・
切り換えがうまくできなかった・・・

その上、例によって用意した項目の3割くらいしか話せませんでした。
そこで、このブログでその項目を列挙して、「学校英語の常識、多読の非常識」
という統一件名で、多読の成果をメモしておこうと思います。

第1回は多読三原則です。

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すでに多読をはじめている人にはもう常識になっていると思いますが、
多読三原則は多読にまつわる非常識の最たるものですね。
外国語を勉強するのに「辞書はいらない」だなんて、フツーは考えられないことです。
多読三原則を言いだした当初からいままでずっと、そしてこれからも永遠に
「辞書を引かずに外国語がわかるようになるはずがない」という非難が多読に投げつけられることでしょう。

「わからないところは飛ばす」も、「お勉強」の姿勢が強い人にはとても納得できないことでしょうね。わからないところを放っておいたらいつまでもわからないまま、という非難もわたしたちが蛙の面に水(?)のように甘んじなければならないでしょう。

「合わない本は途中でもどんどんやめる」もやはりお勉強好きの人には耐えられないはずです。もっともそういう人たちだって途中でやめた本はたくさんあると思いますが、多読をうまく続けている人たちは、「投げ本」を気持ちの重荷にしないという強さがある!
それはいま掲示板で延々と報告が続いている「投げ本」のスレッドを読めばわかります。強さとも言えるし、しぶとさ、タフさ、図太さ、打たれ強さとも言えるかな?

あの人たちは基本的に「楽観的」なのかもしれませんね。植木等の歌にある「そーのうち、なーんとか、なーるだーろおぉー」な人たちのような気がします。

そこで、結局多読三原則を一言でいうと(と、わたしはよく講演で言うのですが)
「楽しく読む」に尽きます。そしていままでつらいお勉強だったものが、
多読で「楽しい」に変わること、これが多読のいちばんの非常識かつ奇跡(?)と言えるかもしれません。

次回は「読む量の非常識」について書きます。

追記
講演のあと渋谷オフ会がありました。「ふ~ん」さんが急遽幹事をしてくれて、
二人だけかな?なんて言っていたら、なんと全部で8人になりました。
わたしは、多読の非常識をすんなりと受け容れてくれる非常識な人たちに感謝しました、心の中で。みなさんは実に、実に「レア」な人たちです。多読の99%はみなさんが作ってくださった。ありがとー! このシリーズではみなさんの作った非常識=起こした奇跡をメモとして綴っていきます。こども式サイトの新設で開きはじめた新しい扉がほぼ開き切ろうとしているいま、いままでのまとめとして、新しい門出の足元を固める意味があるだろうと思います。