発音練習 対 シャドーイング 五:ディクテーションはほどほどに

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きのう長野県上田市で多読・多聴・シャドーイングの話をしたときに、
よい言い方ができました。それで、覚え書きとして書いておこうと思います。

ディクテーションはあまりのめりこまない方がよさそうだという話です。

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多読三原則は考えていたよりも長命です。つまりいまだに有効で、今のところこの三原則でまだしばらく行けそうな感じ・・・

軽く修正するとすると、「日本語に訳さない」ということを強調すべきかと
思いますが。

しばらく行けそうどころか、多聴や多書(?)、多話(?)にもほぼそのまま有効かもしれないと思えてきました。

3月の多読的おしゃべり会以来の大きな展開です。

たとえば多読三原則の第一「辞書を捨てる」は多聴やシャドーイングやたくさん書く、話すでは、「一つ一つの音や語の正確さにこだわらない」ということになります。

いわば、読むときに一々辞書を引くのは、聞き取るときや話すときに一つ一つの音や語を正確に聞き取ったり話したりすることに似ているようです。その結果・・・

→ 話す方では極端形ばかりを使おうとする。

→ 聞く方では、ディクテーションでどんな細かい音もすべて聞き取ろうと
する姿勢になる・・・

できるだけきちんと聞き取ろうとする姿勢は、強く発声される音には、まあいいか、と思います。

でも、弱く発声される音まで必死で聞き取ろうとするのは、少々やり過ぎかもしれません。たとえばディクテーションを一生懸命やる人はよく「弱形が聞き取れない」といって、弱い音節を繰り返し聞きます。たとえば on in of at to などという弱い音は聞き取りにくいので、懸命にそのどれなのかを判断しようとします。

わたし自身、ディクテーションには相当な時間を捧げました。同じ場所を何度も繰り返し聞いたので、カセットプレーヤーの巻き戻しや再生が機械式だったころは、何分の一秒かを正確に巻き戻せるようになったほどでした。(その後電子式になって、短い時間の巻き戻しは非常にむずかしくなりましたね。)

今はとてもできそうもない努力をしたわけですが、そういう努力は本質的に報われないもののようです。しかし、報われない理由の説明が、これまではなかなかむずかしかった・・・

そこのところを上田市の講演では、ふと思いついてうまい説明ができたのでした。一言で言えば、弱形の部分だけ聞いてもたとえば上の語のどれなのかは絶対にわからないと説明したのです。

弱形の語は状況や前後関係から決定されるようです。
いわば、聞こえていない語を、「聞こえた」ように文脈から
誤解してしまうわけです。

ここではその点を映画「マイフェアレディ」の有名な場面を材料に説明することにします。できれば映画を借りてきて、この場面を参照しながら読んでください。

さて、映画 My Fair Lady では、最下層階級の花売り娘「イライザ」がもう少し上の階級の話し方を身につけたくて、「ヒギンズ教授」の「話し方指導」を受けます。(支援ではありません。指導と言うより「訓練」あるいは「しごき」です。)

イライザもヒギンズ教授も話し方訓練に疲れ果てたある晩、劇的な場面が展開します。ついにイングランド南部の労働者階級の訛りを修正できたのです。

ヒギンズ教授が課した文は

The rain in Spain stays mainly in the plain.

でしたが、イングランド南部の訛りでは /ei/ を /ai/ と発音してしまうために、この文を
ザ ライン イン スパイン スタイズ マインリー イン ザ プライン。
と言ってしまいます。

これを、中流階級以上の訛りである、
ザ レイン イン スペイン ステイズ メインリー イン ザ プレイン
に修正しようとして、教授と花売り娘は努力を続けたのでした。

それがついに直った最初の場面をよく聞いてみましょう。

疲れ切ったイライザはヒギンズ教授に「もう一度」と促されて、
半分朦朧として、不自然なくらいゆっくりと上の文を言い始めます。(DVDではChapter 20です。)そのときの最後の部分はたしかに in THE plain と、聞こえます。

ところが、ついにエイをアイと言わなくなったのを聞いたヒギンズ教授が「なんだって?」と促すと、イライザは1回目よりは少し早いけれども、自然なやりとりよりははるかにゆっくりと上の文を繰り返します。

このときに最後の in the plain をよく聞くと、実は in A plain と言っているのです!

ディクテーションでいくらin と plain の間を一生懸命聞いても、字幕にある the には聞こえません。

これがディクテーションをやり過ぎると時間の無駄になる恐れがあるという意味です。わたしたちは字幕や原文では the とか、in とか、at になっているのだから「そう聞こえないのは耳が悪いからだ」と思ってきました。

そうではないのです。弱形になると、母音はほとんど「曖昧母音」になり、子音もときにはまったく発声されません。いくら耳を澄ましても、a でもなく、the でもなかったのです。

さて、少々長くなりすぎました。これ以上はみなさんから意見や感想をもらって、それにお答えする形で「なぜディクテーションをやるすぎてはいけないか?」を解説することにしましょう。

上田のみなさん、「みぃみぃ」さん、すばらしい機会をありがとうございました!