だれだったかに、いつだったか、どういう場所だったかで
(実ははっきり覚えている・・・)、
「そのままシャドーイングを続ければ100%わかったと思えますよ」と言いました。
大事なのは「自分で勝手に思う」、「主観的には」です。
日本語でも、わたしたちは全部わかって聞いているわけではありません。100%理解しているつもりで会話したり、観たり聴いたりしていますが、実は全部はわかっておりません。それは一字一句まで書き取ろうとしてみればすぐに判明します。試験をしたらだれも100点なんか取れない! (お勉強主義の人はきっとそんなはずはないと反発することでしょう。ぜひぜひ「日本語のディクテーション」をやってみてください。テレビドラマなんかよい材料ですね。100%信仰が揺さぶられます。)
したがって、英語でも、「どこがわからないか、わからない」状態というのは、その本なり、朗読なり、映像が楽しめているかぎり、100%理解しているといっていいのですね。すべてわかっているかどうか、試験をしてたしかめる、というのは、現実には意味のないことです。

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