不安を抱えた先生たち・・・

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いままで(曲がりなりにも)英語を教えてきた先生方が「多聴・多読」に踏み切るには、
二つの不安 が必要だとわたしは思っています。
一つは、今のやり方で生徒は英語を身につけようとしているだろうかという不安、
もう一つは、自分は英語を身につけているといえるだろうかという不安です。
(「身につける」ってどういうこと?という定義はおきます。)
試験や資格のために指導する人たちには、こうした不安は何のことかさっぱりわからないに違いありません。自分がある点数を持ち、資格を持っていて、生徒が試験に受かれば、点数が高ければ、それでいいじゃないか、というわけです。
そんな風に不安なしに多聴多読指導をはじめる人もいます。そしてこのごろはそういう人が少しずつふえてきました。「多読」という言葉が世間に通用するようになってきたと言うことなのでしょうね。これからはもっとふえるでしょう・・・ わたしはそういう呑気な人たちを「いなし」つつ、不安を抱えて指導している人たちの応援に専念しようと考えています。(この段落は初出時より少しだけ変更しました。)
きょうは「自分の英語についての不安」について、名古屋で児童英語教室を開いているある先生の投稿を紹介します。不安を抱えている先生がほかにもいると知っていただくだけでも、「応援」になるのではないでしょうか?

児童英語の先生へ
私も「まだまだこれからだ!」と思います。
読みたい本はいくらでもあるし、自分の力もどのくらい伸びていくのかとても楽しみです。
児童英語に関わってきてから、もう14年ほど(途中7年のブランク)になります。曲がりなりにも「先生」と呼ばれるようになり、TOEICの点数もそこそこ取り、人から見ると滑らかに英語を話しているように見えても、「本当は私、英語を分かっているわけじゃないの。使えているわけじゃないの。ペーパーバックだって読めないの」という(口に出せない)不安がいつもありました。
SSSに出逢った時その「不安の正体見たり!」という気がしました。触れている英語量がまったく足らなかったのですね。
これから多読と多聴で、薄っぺらだった自分の英語力の、底力をつけていきたいと思います。

実はこの不安を持っている児童英語の先生は少なくないように見受けられます。「児童英語と多読」という児童英語のサイトを運営している「えっちゃん」さんもその一人です。通訳ガイドの資格を持ちながら上の投稿とまったく同じ不安を抱えていたそうです。
中高大学の英語の先生の中にも同じくらいいるはずなのですが、児童英語の先生の方が素直にその不安を口にするようです。それだけ児童英語の先生たちは自由なのでしょう。
なんだか、めずらしく心静かな自省の夜ですが、闇の底にわたし自身の不安が横たわっています。けれども不安のないところに跳躍もないのだと思われます。