シャドーイングが続かないわけ


「dr-patch」さんからのメールです。
文字が音の邪魔をする・・・これは考えたことのない視点です!
みなさんの感想をお待ちします。

酒井先生、こんばんは。
dr-patchです。
「シャドーイングが続かないわけ」で気が付いたことを。
まず、みなさんの続かない理由を見ていると、
「何かを身につけるぞ!」的な「理由付け」がないと続かない・・・と。
でも、それって「Unlearn」ではなく「learn」の世界。
そこで酒井先生がいろいろな場面で「こども式」を提唱されているように、
こどもって言葉を覚えたりするのにいちいち理由付けなんかしてるのかなぁ?。
大人の頭の固いのは、行動に対して必ず目的と結果を予め考えるから。
ある意味「計算高い」とでも言いましょうか(笑)。
全ての行動に「損得」を計算する。
それがあるうちは、きっと何をやっても「行動に対して理由付け」をしてしまう。
また多読との関連性を持たせようとするから、音を特別な存在として扱ってしまうのでは。
たとえば小中学生の頃に意味も分からず「かっこいい!」とビートルズの歌詞を口ずさんでいたのが、
本来のシャドーイングなんて思います。
意味や文字なんてどうでもいい(極論?)、雰囲気(なりきり)に酔っている、それが楽しい!。
それが果たして「苦痛」だったでしょうか?。
動機付けがやはり苦手意識(ネガティブ)から入っているような気がします。
とりあえず音と多読との関連性をも忘れ去ること・・・だと思います。
きっと多読で100万語を超えたひとの方がより「縛られている:拘っている」と感じています。
私の多読は長期ブランク組み(再スタート中)ですが、
活字が入りすぎるとなぜ音が苦手になるのかがとても不思議に思っています。
「活字は活字・音は音」:豆まきみたい(笑)
たぶん多読の経験を音に結び付けようとすると、音は味の無いカタカナに聞こえるはず・・・
やはり「Unlearn (覚えたものを忘れていくこと)」に「覚えたもの=多読の活字(経験)」が入るのでは?
と感じています。
なので「多読は続かない」と言う話題なら、この答えも同じように見てきたはずですよね。
いかがでしょうか?。

おそらくdr-patchさんのいうとおり、おとなは計算高いのでしょうね。
おとなに計算するな、というのは「木にヨリテ魚ヲ求ムル如シ」というか、
「烏に鳴くな!」というようなものでしょうか?
だとすると、こども式の道は遠い・・・