5月2日(日)「日本語多読シンポジウム」報告!その①

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ゴールデンウィークの中日、5月2日に「日本語多読シンポジウム」をオンライン開催しました。多読の「核」とも言える「学習者主体」ということについて、多角的にとらえようという試みです。
午後4時から7時半という長丁場にも関わらず、参加者は常時300名前後とNPO多読主催のイベントとしては最高の人数となり、日本語多読への関心の高まりを感じました。参加者は、海外からの参加も3割を占め、所属も大学や日本語学校の教員やフリーランスの日本語教師、大学院生、出版社や子供の支援に関わる方たちと多岐にわたりました。

日本語多読シンポジウム「学習者主体の多読:多角的な視点から」

NPO理事長の粟野からのあいさつの後、粟野と前理事長の酒井から多読事始め、多読の理念と支援方法など、多読の基本についての話があり、その後、4名の多言語多読会員が「多読用読みもの作成の工夫」、「多読授業での学習者の多様な読み」、「多読経験者への追跡調査」、「多読から始まった学生主体の授業」というテーマで発表をしました。

1.大切なことはすべて生徒が教えてくれる

酒井邦秀(NPO多言語多読理事)

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最初は、英語多読提唱者の登場です。多読を始めることになったきっかけも、現在まで20年も続いている多読の活動の折々でも、常に「生徒」の言葉からの気づきが原動力となっているという話でした。大学の英語クラスで「今日の授業はわからなかった」「先生空回りしています」という言葉から、授業の形態を変えてみたのが英語多読事始め。英語の絵本を自由に読むグループといつも通り英語の記事を訳しながら勉強するグループに分けたら、次第に絵本グループが増えていき、「英語苦手学生」が「英語を楽しんで読む学生」に変容していったのだそうです。
現在はNPO多言語多読でさまざまな多読活動が行われています。そこで見えてきた、場の大切さ、ブックトークの効果(教師は必要ない)という多読のかなめ、そして、読むことから多聴多観への広がりについての話の後、「言葉の氷山」という説も披露されました。まず「音」が氷山の上の一角にあること、その下には考えや場面や物語が広がっていて、文字は氷山の上に散らばるものでしかないのだという示唆に富んだ話でした。

2.日本語多読:実践と支援

粟野真紀子(NPO多言語多読理事長)

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日本語教育の現場での読解教育に関する悩みから日本語学校の同僚と日本語多読をしようと思いたった20年前、まずは読み物を作成するところから取りかからなくてはいけなかった当時の様子が語られました。
そして、楽しく読むことが多読であること、教師は教えるのではなく支援者という立場で学習者とかかわるということ、多読の4つのルール「やさしいものから始める・辞書は引かない・わからない言葉は飛ばす・進まなくなったら他の本へ」は、自主的な読み手を育てるために学習者を解放するものだといった話の後、実際の多読授業の進め方も紹介されました。また、多読用書籍、無料読み物サイトの紹介の際には、これらは一般書への橋渡しであるべきだという多読著書の位置づけにも言及されました
多読が目指すものは、学習者主体を実現することで、教師は支援者であり評価もしません。そこから学習者の達成感や自己肯定感が生まれ、自律した読み手へとつながっていくのです。

3.日本語多読の読み物はどのように作られたか:初級書き下ろし作品の工夫

作田奈苗(津田塾大学)

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まず、多読用読みものはLLL(Language Leaners’ Literature)というジャンルの完結された作品であるというDay & Bamfordの言葉を引いて、その特徴を説明しました。そして、日本語多読読みもの執筆者として当初から現在まで活躍している3人へのインタビューを基にした初級者向けの読みもの作成の工夫について報告がなされました。
多読のための読みものの最も大切なポイントは、「読みやすくて、おもしろくなくてはならない」こと。教員が読ませたいものを作ったのでは優れたLLLにはならないという点が強調されました。実際の作成の過程では、話の流れ、一言一句、挿絵の一つ一つについて繰り返し検討が重ねられ、完成に至ります。発表では実際の読みものを例にして、楽しく読めるようにオチを付けたり、わかりやすい構成にしていること、繰り返しや対比を効果的に使っていること、ページめくりにも細かい気配りがされていることが紹介され、さらに、絵に語らせることの重要性や、筋がしっかりしていれば必要な場面で超級レベルの語彙を使っても学習者には理解されるという、LLLならではのポイントも紹介されました。

4.学習者の多様な読みを認める多読授業

片山智子(東京大学)

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最初に、読解に関する先行研究から今日のテーマである「学習者主体」と「読み」との関係を説明しました。読解とはそもそも読み手の主体的な行為であり多様なものです。多読授業では学生が自由に好きなものを読むという主体的な読みが許容されているので、おのずと多様な読みが生まれるのです。
日本国内の大学で多読授業を受けた初・中級レベルの学生の発話や記述データから、実際の学生の「読み」を紹介しました。同じ作品を読んでも全く違った視点からその物語をとらえていたり、作品には書かれていない登場人物の心情についてその空白を埋めるような読みをしたり、結末に納得できず物語の続きを考えたりと、自由に読むことを楽しんでいる様子がわかります。授業コメントからは、主体的に読むことが許容される多読授業を通して、学生が自分に自信を持ち、自己肯定感を高めている様子も観察されました。

休憩をはさんで、多読の体験が学習者のその後にどうつながり、発展していくのかという点から2つの発表がありました。

5.学習者の自律的な多読:授業外多読セッション経験者への追跡調査から

高橋亘(神田外語大学)

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自律的に多読を継続するためには、目標設定や環境整備など学習者自身による学習管理が必要になります。この発表は、多読の経験者はその後も多読を続けているか、どのように、また、どんなときに多読を行っているかを日本とヨーロッパでの二つの機関での課外多読セッション参加者を対象に行った追跡調査の報告です。
それぞれの機関の約8割の元参加者が、セッションでの経験を生かしながら多読を続けていました。留学や進学による環境の変化の中でも、ずっと多読を継続している人もいます。セッションを経験したことで多読のルールが身につき、それを自身に合った方法に適宜修正して読んでいること、さらに、自身の学習レベルに即した読みものをスマートフォンや書店、友人等から入手していること、自宅の他に通学/通勤中のすき間時間にも多読を行っていることもわかりました。自律的な多読活動を支援するための支援の方法として、コミュニティ形成の可能性としてのSNSグループ運営や、昨年末からNPOの会員で始めたオンライン多読クラブの活動についても報告されました。

6.多読経験者発案の新コース『日本語多聴多観ディスカッション』

纐纈(はなぶさ)憲子(米国ノートルダム大学)

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まず、日本語教育の目的は、単に知識の獲得ではなく人間形成であるという當作(2021)の言葉が紹介され、続けて、学生発案の新コースがスタートした経緯が説明されました。
多読授業は、好きな本を自由に読んでいくという学生の主体性に任されています。また、教師が学生一人一人を観察し、1対1で話し合う機会も多いので互いの信頼関係も生まれます。このような授業を経た後、学生が多読授業の教師(発表者)に対して自分たちが望む授業を提案し、それが大学に認められ、実際に新コースが始まりました。
この新コースでは、学生が主体的に運営をし、教師による評価も最小限にとどめられています。授業内では、先輩が後輩を信頼して育てている様子が観察され、中心的役割を果たしていた学生が卒業しても後輩がそのあとを受け継ぐという流れも生まれています。
発表は、このコースは多読で個の主体性が認められたからこそ生まれたものであり、まさに「人間形成」の場となっているとの分析でまとめられました。

(正会員 片山智子記)

報告その②に続く・・・