停滞と熟成

多読の特徴 遠ざかっても消えない・・・?

じぷたさんから恒例のセンター試験メールが来ました。

大変あいさつが遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

さてこの時期、恒例になってしまったセンター試験。
実は去年、全然多読をする気が起こらなくて・・・・
年の後半に読んだのはたったの2冊!! なので今回はやめておこうかと思ったのですが、
多読をしていなくてどれくらい取れるのかなぁ?と思い(笑)Tryしました。

結果は162点。 去年より10点下がっていますが、自分では半分取れるかな?
と思っていたので 案外いい点が取れてびっくり!!
最初の方のアクセントや熟語などの単発問題の点数は無視して(笑)
(ちなみに第2問のCの2と3はいまだに正解の文がわかりません(笑))
長文問題の第4問のAの”magnet”と”sticky”の意味が最初わからなくて
「やっぱり多読をしていなかったから、本文から意味を汲み取れてないなぁ。
長文問題でしか点が稼げないのに・・・」と思いながらそのままそこをすっ飛ばして、
「これはもう開き直ってやろう!!」と後の長文問題を勢いでやりました(笑)

その勢いのおかげか最後までやって時計を見ると、まだ時間が残っていたので
もう一度第4問のAを残りの時間を費やしてすることができました。
結果やはり長文問題で点数を稼いでいます。 まぁ、多読はしていませんでしたが、
Podcastを聞いたり英字新聞をちょこちょこっと 読んだりと英語にはふれていましたので
点数がでたのかなぁと思います。

このメールでいろいろ思うこと、考えることがあるのですが、 三つの締め切りの一つ目を提出したばかりで、あと二つがんばりたいので、 それはまたいつかということにします。

今回は1年間離れていても 力はほとんど落ちていない!
これが単語の暗記や、問題集をいっぱいやって 点数を無理矢理(見かけだけ)
上げるのとは違うところですね。

だから(?)多読したくない時は堂々と休みましょう! 何年でも・・・
多読だけが楽しみということではないのだから。

じぷたさん、報告をありがとう!

あ、そうだ・・・ facebookの方で、学校の試験のひどさについてたくさん意見や
感想がつきました。あしたはそれをざっとまとめようかな?
しばらくはそうやって、みなさんのメールや意見でブログをつなぎます。

多読のパラドックス 子離れ熟成篇

去る者は日々に疎し--語学学習ではこれは特に実感を持って語られる
ことわざでしょう。けれども、「去るとも日々に親し」というパラドックス!

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多読支援は簡単な場合は、ひどく簡単で、複雑な場合はひどく複雑・・・

特に家庭内の場合は、複雑になるとどんどん複雑になって、
解きほぐすのは大変!ということがあります。

どういう場合には「簡単」か?

ある程度はっきりしていると思いますが、親が子どもを離れた自分の生き方を
持っていると思われる場合は、比較的親子多読がうまくいくようです。

そういう場合と思われる例をあるブログから紹介します。

【YYYの多読】支援三原則を守って、見守ることの大切さ。

ひょんなことから、今週末にNPO多言語多読(TADOKU Supporters)の事務所に遊びに行くことになりました。英語絵本の読み聞かせの会です。

で、もちろん私も絵本を1冊選んだのですが、一緒に行くYYYにも、「今回は絵本の読み聞かせの会だから、YYYも1冊選んで読んでね。」と言って選んでもらいました。

最初は、大好きなBiscuitを持ってきたのですが、7月にNPOの事務所に行って様子がわかっているからか、「この本だとちょっと小さいかな。もうちょっと大きな絵本がいいよね。」と言って別の本を持ってきました。

お~、この本は、私が10年近く前、児童英語の先生になったばかりの頃に教材として使っていた本ではないですか! YYYの部屋にあったらしいのですが、「なんか、懐かしかったから」と言ってました。

実は、ここだけの話ですが(笑)、YYYの多読は大停滞期に入ってます。体を動かすことが大好きで、もともとあまり本を読まない子です。図書館や書店で本を見るのは好きで、月2~3回は市立の図書館で本をかります。今は歴史まんがに凝っているようですが、かりた本を読むのは本当に時々。そんなYYYですから、英語の本は最近まったく読んでいません。去年の夏に33万語くらいまで読んでからは完全にストップしていて、とうとう6年生になってからは長期休みの課題にすら入れてもらえない始末・・・。

来年からは中学生になるし、母親としては少し焦る気持ちもあって、酒井先生にもお話ししたのですが、「放って置きなさい」のひと言で・・・。本当に今のままでいいのかな~と正直かなり不安になっていました。

YYYさんに限らず、こどもが「勉強」しないときに、放っておくのは、
かなり大変です。どうしてもちょっかいを出したくなる。それはわたしも同じでした。
--できるだけ子どもの生きたい道の邪魔にならないようにとは思うものの、つい・・・

でも、自分ではちゃんとできなくても、かなりの数の親子を見てきて、
放っておく、これは親の義務の第一ではないかと思っています。
「親はあっても子は育つ」場合もありますが、概して親が口を出していいことはない。

おっと、この話題は長くなります。戻りましょう。

で、最初にYYYに、「読み聞かせでさ、一番大切なことって何だっけ?」と質問してみました。返ってきた答えは・・・

「絵を見てもらうこと」

あ、なんだ、わかってるんだ。ちょっとホッとしました。

じゃ、とりあえず、一回読んでみて、と言うと、なんと、なんと・・・

実にすらすらと、実に普通に、読みました(驚)すごく久しぶりに開いたか、もしかしたら一度も自分では読んだことのない本を。まるで日本語の本を初見で読むような感じで。(発音できない単語が1個だけあって、すごく久しぶりに止まって私の顔を見ました・笑)

英語に関しては何も言うことがありませんでした。ここはもうちょっと間を取った方がいいよね、とか、この絵はゆっくり見てもらいたい絵だよね~とか、どちらかと言えば絵本の見せ方に関することだけで、そこだけ練習すればいいのかも・・・、と思いました。

自分自身も多読をしていて、何人かに多読の支援もしていて、今回のYYYの件も含めて多読って本当に不思議だな、と思うのは、例えば何かの事情でしばらくお休みをしたり、読めない期間があったとしても、直前まで読んでいたものはきちんと体に(頭に?心に?)残っていて、時間が経っても後戻りすることなくそこに戻れるということ。

中には、中断前より難しい本が読めるようになった、って言う人がいるということ。

読んだ語数が減らないように、体(頭?心?)に溜まった言葉も減らないのかな。

絵を見ること! うーん、子どもの直感はすごい・・・ すごい・・・

これはここ数年強調するようになりましたが(もっと前からだったかな?)
おとなはこれを分かるのに苦労します。わたしも、5年くらい前まではそこまで
絵が大切だとは思っていなかったのではないかな? 単に「絵が多い方が
入門しやすい」という程度の認識だったと思います。

NPOの多読講座でははじめのうちは字を隠して絵だけを見てもらいます。
英語の勉強に来たのに、英語を見せてもらえない!というわけで、
みなさん、半信半疑で講座に入って行きます。でも・・・

「ことばは白い活字の上に印刷した黒い活字ではない」

わけで、どうしてもことばの生まれた場面と、言葉を出す人の表情と一緒に
体に吸収する必要があります・・・ありますが・・・ 長くなるのでこれはまたいつか。

たぶん、YYYさんの場合も、頭ではなく、心と体と頭と、(ひょっとすると仮想的には
筋肉も使って)全身で絵本を受け止めたんでしょうね。そうすると、もう歩いたり、
走ったり、息したりするのに近くなって、かなりの時間離れていても消えたり、
忘れたりしない? だからこそ、しばらく停滞があっても、それはむしろ熟成のために
必要だったりする?

停滞期間の熟成--これは多読の謎の中でも相当大きい!

酒井先生の言うとおり、多読に関しては今後もYYYに言わないようにしよう、と思いました。YYY自身がいつか必要だと感じた時には、本はいつでもあるんだし。

何か、よかったな。YYYにはちゃんと多読の種が根付いているんだ。私が何も心配しなくても、枯れてないんだ、と実感できました。

ブログの引用を許してくださって、ありがとう!

最初に出てきた多読支援三原則については先生向けにいつも話していますが、
ブログではあまり言っていなかったと思うので、書いておきます。

<多読支援三原則>

1.教えない

2.おしつけない

3.テストしない

学校の先生に嫌がられるのも無理ありませんね・・・
けれども、多読三原則と多読支援三原則はことばとわたしたちの関係を
いちばん底から見直す機会を与えてくれるのだと、今にして思います。
そして多読はどうもかなりことばを身につける時の根本的な土台に関わっている
かもしれないと思います。

なお、次回のNPO多言語多読「絵本読み聞かせ会」は11月10日です。
詳しくは・・・

http://forum.tadoku.org/viewtopic.php?f=9&t=2022&p=7671#p7671