文部科学省

いわゆる「ネイティブ」はいつまで「ネイティブ」か?

日本人英語で何が悪い! カタカナ英語でも堂々と!!

・・・という半可通の意見があります。
わたしはそういう意見はよほど自分の知識や才能や人間性に自信がないと
主張できないはずだと考えています。

意地悪な言い方をすれば、そういう主張は
*日本にいるぬくぬくさにあぐらをかいている か、
*外国で厳しい対決を経験したことがない か、
*自分の殻に籠もって外国の人とつきあわないようにしている か
そんなところだと思います。

カタカナ英語が通じない実例をKさんが体験してきました・・・

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流されないために・・・ 中学に入る子を持つ人に

日本の特性なのでしょうか。
何をやるにもはじめからきちっとお作法に則っていないといけない・・・

かつてトロンという日本で作られたコンピューターのオペレーティング・
システムがありました。どれほど独自なものなのだろうと期待して、
トロンを中心になって作り出した坂村健という人が監修する(?)
NHK教育テレビのコンピュータ講座を見ました。

なんとキーボードの正しい打ち方から講座が始まった!
正しい腕の曲げ方、それぞれの指がどのキーを担当するか、
asdf jkl; とゆっくり打つことから始まったのです・・・
わたしはそこですぐに見るのをやめました。

日本の常識なのでしょうか。
コンピュータ講座はブラインド・タッチを覚えることから、
習字は 永字八法から、
テニスは素振りから、自動車教習はハンドルの回し方から(もちろん車は止まっています)、
英語は ABC を覚えること、一字一字ちゃんと書けること・・・

どれもこれもおもしろくない! ワクワクしない!!
いやどれも初めての時はおもしろいのかな?
おもしろいとしても、「基礎を正しく」という考え方も一緒に
頭と心に埋め込まれます。

なんでほとんどの日本人はなんでもかんでも「道」にしてしまうので
しょうかね? いや道(どう)そのものには問題はないのかもしれませんが、
その身につけ方はいつもだれかが決めた「基本」を「正しく」身につける
ことから始まる・・・

中学校の英語も例外ではない。
さっきある人がツイートしていました。

特に細かいことばかりつつかれる1年生はつらい。
スペルを覚えるのになれるまでに時間のかかる子、
細かいところに目を届ける余裕がない子はみ~んな
どうでもいい間違いばかりで揚げ足を取られてしまう。

ここ5、6年の間に中学高校では、とてつもなく恐ろしいことが
起きています。「1年で英検3級、2年で準2級、3年で2級」といった
到達目標があって、そこへ向かって先生は(自分の評価、
給料にも関わるので)必死で子どもたちの尻を叩き続けます。

いや、ほとんど英語の先生は、子どもたちにひたすら単語暗記と
文法問題集を強制して、それだけが英語の力をつけるものだと
信じて疑いません。学校の管理側から始まったその押しつけぶりは
まるで監獄や拷問や全体主義国家の司法機関と同じです。

学校を管理しているのは文科省です。そして文科省を陰に陽に
管理しているのは財界です。だから学校で起きている非道な
行為は日本の世の中全体の向かっている方向と見事に
一致しています。

ひどくたくさんの人が「権威の奴隷」になりたがっているのです。
財界だって、お金の奴隷になりたがっている。お金の奴隷として
優秀であればあるほど、企業は儲かると信じているのです。

おっとずいぶん話が飛躍しました。中学高校大学の英語に
戻りましょう。もしみなさんが過酷な暗記、問題集、和訳などを
通した英語の先生による「残虐非道な仕打ち」の例を知っていたら、
知らせてくれませんか? 世の中全体に訴えることを
考えたいと思います。

子どもを守りたいと思ったら、「英語なんか嫌い!」と思わせたくなかったら、
学校の英語は常軌を逸していることを子どもに伝える必要があります。
常軌を逸していることを保護者自身が判断できるためには、
上記を逸していない英語(実際に世界中で使われている英語)に
触れて、使っている必要があります。多読・多聴、字幕なし多観、
Skype、twitter、facebook、ブログ、インターネット大学・・・
何でも利用して、奴隷の身を抜け出しましょう!

流されないために・・・ 文科省の「人材」について

世の中どんどん金儲けの方へ流されております。

昨年12月13日に報道向けに発表された文科省の正式文書に
多読 の二文字が初めて入ったことはすでに書きました。

その後朝日新聞で「新しい教育」に関する特集が始まりました。
その第一回の記事には 「人材」 ということばが頻出します。

すでに何度も書きましたが、「人材」 は 「人間材料」 という意味でしょう。
文科省は教育を 経済的繁栄 の 材料を作るものとしか考えていないのです。
上の文書には人材ということばが頻出します。

そしてジャーナリズムの一端を担うはずの朝日新聞まで流されて、
「人材」ということばをそのまま使っている・・・ ああ、なんてこった!

(いや、それはわかっていたことです。
わたしが朝日新聞を紙で購読しているのは「ののちゃん」が読みたいからに
ほかなりません。いしいひさいちさんは暗夜の荒海を漕ぐわたしにとって灯台です。)

新年早々暗い話ですが、NPO多言語多読のフォーラムやブログに集う人もまた
わたしにとっては灯台です。なんとかかんとか闇の正体に灯台の光を当てて、
一つ一つ消していきましょう。いや、消えるものではないとしても、
衝突して沈没しないように、灯台を頼りに迂回航路を見つけていきましょう。

そういうわけでわたしにとっては、新年はみなさんとともに「明ける」のです。
今年もよろしくお願いします。