ある児童英語教室の10年 多読支援のむずかしさと楽しみと・・・

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多読支援はつまるところどこまで一人一人に合わせた助言ができるかということです。

わたしが多読普及を始めた直後に
「多読を支援する人の満たすべき二つの条件」
を言い出しました。

1. 自分自身でいちばんやさしい本の多読を100万語分くらいしていること
2. 生徒一人一人の顔を見られること

(本当は「100万語分くらい」も外してしまいたいのですが、
職業として英語の授業をやっている人の中には数値目標を必要とする
人が往々にしているので、入り口として入れておきます。
実際に多読するうちに数値目標などは忘れてくれるといいのですが。)

当時から、これはそんじょそこらにないものでした。
なにしろ、この二条件さえ満たせばいいということは

教員免状などいらない!
試験の点数もいらない!
年齢も、職業も、ほかの要素は一切問わない!

要するに

いちばんやさしい絵本をたくさん読んでいて、
始めたばかりの人一人一人と本のことを語り合えること

だけが条件だというわけです。
目の前の人を思いやる気持ちさえあれば、だれでもできる・・・

上の二つのシンプルな条件は今もそのまま先生たちに伝えています。
「そんじょそこらにない」ことも今でも変わりません、残念ながら・・・

以下は最近届いたある児童英語教室の10年間の報告です。

先生、こんにちは。

最近、この秋、お教室を開いてから、ちょうど10年たっていたことに
気づきました。自分が多読を始めたのもほぼ同時。生徒さん達と一緒に
10年多読で楽しんできたんだなぁと、感慨深いものがあります。
お教室で多読を取り入れ始めた頃は、今ほど多読は今ほど普及していたものではなく、
(今もメジャーとは言いがたいですね)
教育関係で多読を取り入れているところは個人の教室の先生方が殆どだったと思います。
情報源や報告例がまだまだ少なくて、多読はいいとは思いつつ、自分がどのように
生徒達の多読をサポートしていくべきか、いつも暗中模索しておりました。

けれども、その分、その少ない範囲で、多読をすすめる方たちが精一杯情報を交換したり、
教室での生徒さん達の、身近で細かな変化の様子を伝え合ったりと、ちいさくともとても深い内容をお互い報告しあうことができて、その中でたくさんのことを学ばせていただいたと思っています。
あの頃にくらべて、ありがたいことに多読の本も、情報も随分と増えましたね。
多読に関する書籍も、多読本を取り扱うサイトも次々立ち上がり、今では学校で
多読を取り入れるところも随分増えました。研修などに参加したり、情報交換をしていると、そうした中での情報もあれこれと色々流れてきて、感心することも多々あります。
その一方、少し気になることも増えてきました。

個人教室からより多くの生徒さんを扱う大手の塾であったり、数十人のクラスで行う
学校の多読と広がっていくと、どうしても違った面が見えてきますね。生徒さんの成績、
保護者、学校関係の方への報告等がもちろん重要な要素になっていくので
多読の実績と言うものを目に見える形で示す必要がどうしても出るためでしょう、
その判断材料としての色んな多読の”数値”を目にすることがとても多くなりました。
多くの生徒さん達を相手に出した結果であるし、入試や、生徒さん達の進路のための
一つの指針、多読の効果をよりわかりやすく世間に広める効率のよい手段であるとは
思うのですが、毎日少数の生徒さん達と多読をしている自分には違和感を感じることが多いです。
少人数であれ、大人数であれ、生徒は一人一人違います。
育った環境も、本人の資質も、嗜好も、感じ方も、成長のペースも
それぞれです。

私の小さな教室でさえ、その個性は計り知れないくらいです。
書く、聞く、読む、話す、全てがとてもバランスよく成長される生徒さん。

本自体がものすごく好きで、いつでもどこでも日本語の本を読んでいるので
本の中から言葉を獲得していくと言う方法を既に身につけ、読むだけでどんどん伸びていく
生徒さん

音読がありえないくらい上手でものすご~くいつも上手に音読して
でも、あれれ??内容は??と、思わず頭を捻らせてくれる生徒さん

逆に音読がどこまでも苦手なのに、黙読でちゃんと読んでいて
読みながらくすくす、ぷぷっと一人で笑っていて
”ああ、ちゃんと分かってるんだ~”と、安心させてくれる生徒さん
発音が異常に綺麗な生徒さん

どういうわけか知らないけど会話がうまい生徒さん

作文がやたらうまい生徒さん

どうにも本がきらいだけど、お勉強に比べたら全然ましっと言いながら
きてくれる生徒さん

のほほん系の絵本や物語が大好きな生徒さん

理系で、数字や推理物が大好きな生徒さん

英語漫画命の生徒さん

みんなみんな本当に違うのです。

これだけ一人ひとりが違う中で、数値ってどれだけ参考になるのかなって
生徒さんを見るたびに不思議に感じてしまいます。
このくらいの本をこのくらいのペースで読む子はこの位成績が伸びて
このこの位の大学にいける。

この位の文章が読めるようになるには、この位の単語を知って
この位のスピードが必要
この位の文章を読むには毎日どのくらいの時間読む必要が。。。

このレベルの本を読んだ子はこのくらい成績が伸びて
この語数の本を読んだ子はこのくらい。。。

最近はそんな風に色んな先生たちがそんな数値の報告をしてくれます。
情報として有効なのかもしれませんが
でも、そんな分析をされながらの多読って何でしょうね。

多読の友人はこんなことを言います。

”それぞれ全然違うから数字を出して統一しようとするんだろうね。あるがままを受け止めずに。何でも数字、なんでも経済。大変そう。だいたい、たのしくないじゃんね。そんなこと考えてたら。”

”数字を客観的に評価してしまうと、どうしても大人は欲が出る。もっと、もっと、と。結局、成績が少し上がっても、学習習慣がついても、次へ次へと目標を上げて、
子供をしごくことになる。”

数値を出す先生たちがそれにすべて頼って生徒達を指導しているだなんて
いうことはもちろん無いのでしょうがどうも数字に多読の本当の魅力や
本当の力が多い尽くされていく気が。。

多読の楽しさ、魅力を感じる力、そうした数字では語れないものから
生まれる、これまで考えたことが無かったような効果の魅力、驚き。わくわく。

そういうことを、指導者自らが感じ、自分の体験として多読の魅力、効果を
伝えること。、もっともっと生徒さんを一人ひとり良く見て、
その子のペースにあったサポートをするための時間をとること。
その大切さをもっと広めたいと感じます。
大勢いたらそれは無理。。。なのかもしれないけど、
だからこそ、そういうことに気を配る。先生は、図書館の司書さんのように
楽しい環境をつくり、楽しい本をアドバイスすると考えれば
大勢の相手もけして不可能ではないと思うのです。
数字よりもっともっと大事な、本質的な事を
もっと掘り下げて考えていく、
せっかく学校等に広がっているのだからこそ、
そういう多読の取り入れ方をする英語教育になっていってほしいなぁと
思う今日この頃です。

他の人の多読を支えるということは「人」を相手にすることです。
報告の中の真ん中あたり、いろいろな子どもがいることが書いてあります。
報告を書いた人が一人一人をどれほどよく見ようとしているか、よくわかります。

試験や資格や数字で一人一人を見ることはできません。
それはわたしの考える「多読支援」とは縁のないものです。
数字を多読支援に持ち出すことはありますが、それは多読そのものではなく、
多読を巡る周囲を「なだめる」ためです。

大田桜台のSさん、福岡女学院大学中学校高等学校のSさんなどは
数字を実にうまく使って、回りを説得しています。
数字は使っているけれども、数字で一人一人の多読をどうこうしようとは
考えていません。この二人がどれほど「人間」であるか!

上の報告を送ってくれた人は大田桜台のSさんのことをちがうところで、
こう評しています。

伸びやかに生徒さんに多読をしてもらいながらちゃんと力もつけてるところもあって感心してる

もう一つ、このことについてメールが来ました。

数字を当てはめるほど、多読から遠ざかっていく気がする

まったくもっともです。
数字で抽象化、単純化してしまうのはよくよく気をつけなければいけませんね。

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