学校英語を洗い流すために

9月18日 木曜多読講座(英語)報告!

ここしばらくのテーマは シャドーイング、字幕なし多観、一口サイズ です。

この日はシャドーイングが抜けてしまいました。
一口サイズでは、新しく始まった Bite-Size Book Talk と、
Bite-Size Read Aloud について少し掘り下げてみんなで話しました。

で、字幕なし多観について、OさんとMさんの報告が非常に印象的だったので、
講座受講生のメーリング・リストにあらあめて報告してもらったものを引用します。
まず Oさん・・・

Saki-sensei, Everyone,
Thank you for the lesson today.
At today’s class we talked about “字幕なし多観”
Sakai-sansei said “Write about it in Japanese.
So I’ll write down in Japanese.
先日刑事コロンボの”攻撃命令”を字幕なしで観ました。
実は二回目の視聴で、発見がありましたのでご報告します。
今回の変化は以下の3点です。
①登場人物以外の背景にも目が向くようになり、より内容を楽しめるようになった。
(これは多読の絵をじっくり見るに通じるかもしれません)
(以前は登場人物の口の動きをしっかり見ていただけだった)
②以前よりもより細かい内容も大分聞き取れるようになった。
(一回目の視聴は6月だったので3か月で大分成長できたのか?・・嬉しい!)
③英語にも関わらず、音量を大きくせずに観ることができた。
字幕なし多観の継続は以外に短時間に英語を聴く耳を作るか もしれませんね。
今後も続けていきたいです。
酒井先生には感謝しています。
ある意味強制されなければ、字幕なしの世界に飛び込められませんでしたから。

①、②、③、どれも貴重な報告です。
やはり絵は大事! 字幕を見ていると絵=画面は見ていないですね。
これはやってみるとすぐ分かりますが、Oさんは3ヶ月を経て同じ画面を見たので、
それがはっきりしたのですね。

字幕なし と 絵本の字を隠す は同じことですね、考えてみれば!

そしてこちらはある意味でとっても、とってもうれしい Mさん の報告!

私も酒井先生から「字幕無し多観」について書くように言われていましたが、遅くなりました。

私はこれまで「字幕なし多観」と言っても、会話の内容が理解できないことが多いため、時々字幕を盗み見しながらストーリ-を理解していました。

先日kmama-sanから紹介のあった「コロンボ:攻撃命令」を全編字幕なしでtryしてみました。

すると、今までと違う新鮮な感覚を味わいました。

それは、会話の内容は理解できませんでしたが、音声がリズミカルに伝わってきたことです。

コロンボの肉声も初めて意識的に聴きました。

映像の中の音声がリズムカルに感じたのは初めてかも知れません。(今頃になって・・・。)

これが「字幕なし多観」の原点なのでしょう。

文字を読んでいる間に映像と音声は変化していきます。

読む文字がなければ映像をじっくり見ることができ、音声も意識できます。

今後はストーリーの内容にこだわることなく、映像の変化と音のリズムにだけ注意して本当の「字幕なし多観」を楽しめるように努力したいです。

なんといううれしいこと!
Mさんがたどりついた原点は実はわたしがNPOの講座を通してたどりついた
原点です。

(「絵=映像」の変化、そして音のリズム!
「絵=映像」は 「ことばの氷山」につながり、
リズムは「一口大」へつながります。)

そんな大事なところで「受講生」と「講師」が一つになるとは!
これからも曲折はあるでしょうけど、Mさん、ぜひ字幕なし多観を
折りに触れ愉しんでください!

最後に、Oさんの最後の一言について・・・

講座ではいくつも「強制」していることがあります。
多読に強制は似合わないはずですね。
けれども、シャドーイングにせよ、一口サイズにせよ、字幕なし多観にせよ、
強制しなければならない理由があると考えています。

それは これまでのやり方を変える ということです。
つまり学校英語の考え方を洗い流すために、ある場合には強制する必要がある・・・

ある場合というのは学校英語を一生懸命やった場合たちです。
学校英語のさまざまな縛りをまとっている場合は、やはり無理矢理にでも
まずは呪縛から抜け出てもらって、そこから 「自由な獲得」 が始まるのだと思います。

「自分の自由な意思だ、自分は楽しんでいる!」と信じていることが、
実は学校や世間の期待に応えているだけ、それをひきずっているだけ、
という場合が非常に多いとわたしは思います。

自由を獲得するための不自由!
残念ながらそういうパラドックスを越えなければならないのですね、いまの英語教育では。

なお、学校英語の癖がない場合は、軽々と、気軽に一口大もシャドーイングも、
字幕なしシャドーイングもこなしていきます。いや、そういう場合に属する
ある人は、こうのたもうたのでした。

「長い文を書きたくても書けないのです!」

3月5日 水曜多読講座の報告です!

毎週講座の始まる前に5分間、Nさんが「発音講座」をやっています。
わたしは今は「発音」という考え方にはよいことはないと考えていますが、
Nさんの講座は日本語の音と英語の音の大きな違いを確認するよい機会になると考えています。

この日はLの音とRの音の話でした。
Nさんは英語の音について書かれた日本語の本をいくつか参照したそうですが、
わたしの言う「極端形」の「発音方法」しか説明がなかったとのこと。

実際には「舌の先を上の前歯の裏に当てて弾くように発音する」Lの音だけでなく、
舌の位置の数は事実上無限にあると言えるので、よくある極端形の発音しか
説明がないというのは実際に使われる音の多様さを無視していますね。
明治から第二次世界大戦中までならいざ知らず、今は実際の英語の音を
いくらでも聞くことができます。実際の音を聞けば、極端形のLの音などは
かなり数が限られているということはすぐわかるはずなのに、どういうわけだろう?
不思議としか言いようがない・・・

Lの音に何種類もあることはどんな初歩の音声素材を聞いてもすぐにわかります。
それでも「音声学者」にはなかなかわからないとすれば、
学校英語の固定観念を去ることができないということでしょうね。
Nさんには、英語国の音声学の本では無数のLの音についてどう書いてあるか、
調べてくださいとお願いしました。

講座に入って、いよいよ水曜日も二人が字幕なし多観をはじめました。
しばらくは強制です! やってみれば、なあんだ、というのが字幕なし多観ですが、
慣れるまでは無理矢理英語音声だけでDVDを楽しんでもらいます。

考えてみると、字幕なし多観はもちろん辞書なし多読に似ていますが、
聞き読みシャドーイングにも似ていますね。
聞き読みシャドーイングは音声に引っ張ってもらって、
文字を分かろう、理解しようという衝動を抑え込む・・・
字幕なし多観は映像に引っ張ってもらって、
音を聞き取ろう、分かろう、理解しようという衝動を抑え込む・・・

「正しく読めなければいけない、すべて聞き取らなければいけない、
100%理解しなくてはいけない、分からないと気持ちが悪い、
どうしても分かりたい」という気持ちを離れるためにはこうした
強制も仕方ないのだと思われます。

それから別に二人の人が字幕なし多観シャドーイングを始めました。
実際に数分間やってもらって、映画を楽しみつつシャドーイングも楽しめる様子
だったので、これもしばらく続けてもらいます。この二人は強制ではありません。
西のテーブルでは昨年の秋に受講し始めた二人の人が劇薬に近いシャドーイングに
挑戦することになりました。二人ともかなり英語を勉強した人たちなのです。

読み聞かせ、book talk はいつも通り。
比較的新人の多い南のテーブルでも、日本語のブックトークが始まりました。

Look and Ask はSさんのオーストラリア旅行。
またしてもいながらにして世界旅行の雰囲気! おいしそうな料理もあった・・・!

そして「多読祭り」へ向けて、少しずつ緊張が高まってきました。
水曜講座の受講生全員(+わたし)で劇を上演するのです!!
再来週の月曜日はなんとNPO事務所でリハーサルだそうです。
楽しみ!!!