毎週講座の始まる前に5分間、Nさんが「発音講座」をやっています。
わたしは今は「発音」という考え方にはよいことはないと考えていますが、
Nさんの講座は日本語の音と英語の音の大きな違いを確認するよい機会になると考えています。
この日はLの音とRの音の話でした。
Nさんは英語の音について書かれた日本語の本をいくつか参照したそうですが、
わたしの言う「極端形」の「発音方法」しか説明がなかったとのこと。
実際には「舌の先を上の前歯の裏に当てて弾くように発音する」Lの音だけでなく、
舌の位置の数は事実上無限にあると言えるので、よくある極端形の発音しか
説明がないというのは実際に使われる音の多様さを無視していますね。
明治から第二次世界大戦中までならいざ知らず、今は実際の英語の音を
いくらでも聞くことができます。実際の音を聞けば、極端形のLの音などは
かなり数が限られているということはすぐわかるはずなのに、どういうわけだろう?
不思議としか言いようがない・・・
Lの音に何種類もあることはどんな初歩の音声素材を聞いてもすぐにわかります。
それでも「音声学者」にはなかなかわからないとすれば、
学校英語の固定観念を去ることができないということでしょうね。
Nさんには、英語国の音声学の本では無数のLの音についてどう書いてあるか、
調べてくださいとお願いしました。
講座に入って、いよいよ水曜日も二人が字幕なし多観をはじめました。
しばらくは強制です! やってみれば、なあんだ、というのが字幕なし多観ですが、
慣れるまでは無理矢理英語音声だけでDVDを楽しんでもらいます。
考えてみると、字幕なし多観はもちろん辞書なし多読に似ていますが、
聞き読みシャドーイングにも似ていますね。
聞き読みシャドーイングは音声に引っ張ってもらって、
文字を分かろう、理解しようという衝動を抑え込む・・・
字幕なし多観は映像に引っ張ってもらって、
音を聞き取ろう、分かろう、理解しようという衝動を抑え込む・・・
「正しく読めなければいけない、すべて聞き取らなければいけない、
100%理解しなくてはいけない、分からないと気持ちが悪い、
どうしても分かりたい」という気持ちを離れるためにはこうした
強制も仕方ないのだと思われます。
それから別に二人の人が字幕なし多観シャドーイングを始めました。
実際に数分間やってもらって、映画を楽しみつつシャドーイングも楽しめる様子
だったので、これもしばらく続けてもらいます。この二人は強制ではありません。
西のテーブルでは昨年の秋に受講し始めた二人の人が劇薬に近いシャドーイングに
挑戦することになりました。二人ともかなり英語を勉強した人たちなのです。
読み聞かせ、book talk はいつも通り。
比較的新人の多い南のテーブルでも、日本語のブックトークが始まりました。
Look and Ask はSさんのオーストラリア旅行。
またしてもいながらにして世界旅行の雰囲気! おいしそうな料理もあった・・・!
そして「多読祭り」へ向けて、少しずつ緊張が高まってきました。
水曜講座の受講生全員(+わたし)で劇を上演するのです!!
再来週の月曜日はなんとNPO事務所でリハーサルだそうです。
楽しみ!!!